白内障手術の歴史

白内障手術の歴史

加齢とともに始まる白内障。
80代になるとほとんどの方は白内障になっていると言われており、とても身近な病気です。

今では白内障手術といえば、にごった水晶体を取り除き代わりに眼内レンズを挿入する手術が主流で、安全だと言われていますが、昔はどうだったのでしょうか。

白内障手術の歴史は紀元前から!?

■ 縄文時代

実はかなり歴史は古く、紀元前800年ごろからインドで行われていた記録が残っています。
当時の手術方法は単純で、針金を眼球に刺し、水晶体を硝子体内に落とすという「墜下法」が医学書に記されています。この「墜下法」はほんの200年ほど前まで行われていました。

まだ解剖学的な解明が進んでおらず、眼の構造や機能などが十分に理解されていなかったため、白内障とは『脳から悪い白い水が落ちてきて目にたまったもの』だと考えられていました。白内障の語源はここからきており、ギリシャ語のcataract(滝、急流)という言葉を用いたと言われています。

当時は麻酔がありませんから、身体を寝台やイスに縛り付けられ痛みに耐えていたといいます。
想像を絶する痛みと恐怖も凄かったことでしょう。
消毒や抗生物質もないので、感染症で命を落とすことも多かったかもしれません。

【メガネの豆知識】鎌倉時代
13世紀終わり~14世紀初めにイタリアで凸レンズを目の前にかける眼鏡が発明されました。いわゆる老眼鏡のことです。 16世紀には凹レンズを近視の人がかければ遠くが見えると発見され、近視用のメガネが出来ました。

■ 室町時代

日本に渡ってきたのは1355年頃。室町時代にインドから中国を経て伝わりました。
手術法はやはり「墜下法」だったそうです。

■ 江戸時代初期

17世紀終わり~18世紀初頭にはだんだん解剖学が発達してきて、白内障の目がどうなっているか知識が増えてきました。フランスの解剖学者であり眼科医であるフランソワ・プルフール・デュ・プチが現在とほとんど変わらない目の構造を記しました。

1745年にはフランスの眼科医ジャック・ダヴィエルが世界で初めて水晶体の「摘出術」を行いました。
目の下の方から槍状刀で角膜を切り、その傷をハサミで両方に広げて、水晶体の前嚢を切開し、中の濁った部分を下へ押し出すというやり方です。
この頃もまだ麻酔も消毒もなく、非常にむずかしい手術でした。

世界の主流としては「墜下法」で皆が行っていたなか、むずかしい「摘出術」は実際行ってもうまくいかないので「墜下法」の方が安全でいいんだと、「墜下法」と「摘出術」の是非をめぐり論争が長く繰り広げられます。

■ 幕末時代

1850年頃にウィーンの学者が「墜下法」と「摘出術」の成功率を発表し、「摘出術」の成功率の高さを立証しました。これによって「摘出術」が決定的に進み、ヨーロッパでは「墜下法」がなくなっていきました。
またこの頃、眼の麻酔法、消毒法などが開発されました!
これは全ての人にとって、とても嬉しいものですね!

■ 明治時代

ドイツのグレーフェが線状切開法により白内障手術を飛躍的に前進させました。
これは術中の合併症を少なくするため短時間で綺麗な手術創を作ることができる素晴らしいナイフが考案されたことによります。(グレーフェ刀)
グレーフェは近代眼科学の創設者と言われています。

しかし、当時は眼の中のレンズがなくなるので、分厚いレンズのメガネで矯正するしかありませんでした。レンズは重く、見え方も不自然だったそうです。
そこで、自然な見え方に近づけるため、水晶体の代わりになる人工レンズ(眼内レンズ)の開発が始まります。

中央眼科グループの眼内レンズ

■ 昭和以降

1949年に、世界で初めて眼内レンズが挿入されました。

1980年代には折り畳み眼内レンズが発明され、これまで大きな穴から水晶体をそのまま取りだしていた術式から、小さな穴から水晶体を細かく砕いて吸い出し、その小さな穴から眼内レンズを挿入する小切開時代へ突入しました。

白内障手術の現在

1980年代より眼内レンズの保険適用高齢化社会の到来で、手術症例数が急増しました。
白内障手術は、現在でも日々進歩しています。眼内レンズの改良や麻酔の発展、手術時間の短縮で安全に行えるようになりました。

現在では白内障手術は問題なく終わることは当然で、さらに良い結果を求める時代になっています。患者さまへの負担を極力減らし満足度を高めることが重要です。

中央眼科グループでも眼内レンズの選択や、手術後の視力や見え方に問題ないようお一人お一人に寄りそうことを大切にしています。
何かお困りの事が少しでもありましたら、いつでも中央眼科グループにご相談ください。

中央眼科グループの白内障手術